プレイバックPart3-1995年RA31

 今日も暖かい1日でした。このまま春にならないかなぁ...。まぁ無理でしょうけど。
 10周年記念パーティープレ企画『プレイバックシリーズ』3回目の今日は、私が静岡時代に間近で見たヤマハロードレーサーRA31の写真をご紹介します。
 以前ヤマハで私がメカニックを務めた80年代後半から90年代初め頃は、まだ貴重なロードレーサーを動く状態で保存しようという動きはそれほど活発ではなく、シーズンが終わると多くの車両は解体されたり、翌シーズンのマシンのためにパーツ取りにされたりしていました。ただ当時からホンダはコレクションホールに展示する車両を動態保存する準備を進めており、ヤマハもその後コミュニケーションプラザ建設に合わせて、貴重なマシンを動態保存するようになっていったと記憶しています。

 このRA31は、1967年から1968年にかけてGP125のタイトルを獲得した125ccV型4気筒のワークスマシンで、レストアの終わった車両を写真に収めました。当時は内六角のキャップボルトを製造するのは技術的に難しかったと見えて、ほとんどのボルトが6角にマイナスドライバー用の溝を切ったもので構成されています。

 タコメーターや水温計などのメーター類もゴム(Oリング?)を捻じったものでフローティングマウントされており、当時手に入る素材を駆使して苦労の跡が伺えます。

 圧巻は何と言ってもエンジン回りで、125ccの2サイクル水冷V型4気筒という市販車では考えられなうような構成はもちろんですが、当時の技術では難しかったと思われる2サイクルエンジンの各部の潤滑のために、オイルポンプからクモの巣のように張り巡らされたオイルデリバリーパイプの異様な姿です。『配管工の悪夢』といえばヴィンセントが有名ですが、RA31も負けず劣らずの特異さでその存在感を訴えかけてきます。レーシングマシンには、開発者やメカニック、ライダーが見出した、勝つためのあらゆる手段が凝縮されていて、見る者を決して飽きさせません。